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「沈黙の子どもたち」読書ノート①[2019/08/14 水 PM 06:02]

 映画鑑賞で福岡市を訪れた際、本屋で山崎雅弘著「沈黙の子どもたち 軍はなぜ市民を大量殺害したか」を購入しました。

 映画を観る前に少し時間があったので、映画館近くの書店で気になる本をチェックして、映画館で「ピータールー」を鑑賞して、「沈黙の子どもたち」を購入することにしました。

 「ピータールー」は、参政権を求める市民集会を鎮圧するために、銃で武装した軍隊が、参加者を虐殺した事件を取り扱ったものです。

 山崎さんの「沈黙の子どもたち」は、第二次世界大戦中に起こった大量虐殺事件を追った本です。

 無辜の市民が大量に虐殺される事件を追った作品という共通性がこの二つにあり、帰りの電車で「沈黙の子どもたち」を一気に読み進めました。

 山崎さんは大量虐殺が起きた街に赴き、その事件が起こった背景を活写しています。

 「はじめに」で、山﨑さんは、自らの書籍の背景について次のように語っています。

 「こうした悲劇の繰り返しにピリオドを打つことは、可能なのか。人類が幾多の疫病を根絶してきたように、戦争や紛争による市民の犠牲者をなくすことはできるのか。その問いに答えるには、ひとつひとつの事例ごとにその原因と構造を読み解いた上で、全ての事例に共通する力学や動機を浮かび上がらせる必要がある。」

 山崎さんは、大量虐殺を進めた軍隊に共通する価値観についてこう書いています。

 「戦争中に沁みんの大量殺害が各地で繰り返されたのは、戦争を遂行する軍またはそれに準じる組織が『目的を達成する上で必要』だと考える行動がそこに存在したためであり、市民の大量殺害も軍の視点から見た『合理性』の枠内に存在していたのである。」

 そして山崎さんは、この書籍の意義についてこう書いています。

 「日本の軍(またはそれに準じる組織)が将来、戦争や紛争の当事国として、第二次世界大戦時に旧日本軍が行ったのと同じ行動を繰り返さないために、日本の市民は当時の事例から何を学ぶ必要があるのか。手頃な『悪者』を特定して糾弾するのではなく、特定の問題行動を引き起こした『合理性』や、その根底にある価値判断の優先順位、つまり『何を価値あるものと見なし、何をそれより下に置くのか』という思考の土台部分まで掘り進めなければ、我々が過去から学ぶべき本当の根源には、おそらくたどり着けない。」

 今日は、第二章「上海・南京」から引用したいと思います。

 山崎さんは、上海や南京での大量殺害について「1937年の8月から12月にかけて、日本軍が上海から南京へと進撃する過程で行った中国人市民の大規模な殺害は、言葉の通じない外国の市民を『敵の協力者・間諜・便衣兵』と疑い怖れる疑心暗鬼、上海戦での予想外の人的損害で生じた中国人への報復心、上海戦の終了後に帰国できるとの期待が裏切られた失望と自暴自棄、進撃速度を維持するための掠奪と憲兵の訴追を免れるための証拠隠滅、急遽決定した『司令官の南京入場式』に備えた南京場内の安全国保など、さまざまな理由によって行われた。そして、本書でそのごく一部を紹介したように、軍の上級司令部と各部隊の指揮官が下した命令や通達も、市民の殺害行為を是認あるいは推奨する効果を生んでいた。」と述べています。

 その上で、南京での虐殺を殺害者の数字ばかりに焦点があてられることについて次のように述べています。

「日本軍が南京で行った大規模な虐殺については、日本では被害者の数字に大きな焦点が当てられていう場合が多く見られるが、本章で述べたように、その発生は諸々の原因が積み重なった末に生じた『必然』ともいえるもので、被害者数の推測に大きな比重を置くことは、発生原因となる構造や出来事の全体像の理解を妨げる効果をもたらす。」(偕行社の)「『南京戦史』に記された日本軍人に殺害された中国人市民の人数(1万5760人)も、廃棄された公文書や、いまだ公表されていない兵士の日記、そして記録に残らない形で闇に葬られた事例を含まないもので、あくまで『氷山の一角』でしかない。」

 日中友好の関係を構築し、東アジアの平和を築くために、上海・南京での日本軍による中国人市民の大規模殺害の事案の検証はこれからも引き続き行うべき重要なテーマだと感じました。

 山崎雅弘さんの著作は「日本会議 戦前回帰の情念」を読んで以来です。

 事実を見つめる冷静な論旨がこの本で遺憾なく発揮されています。

 ゆっくり休養が取れるこの盆休みに山﨑雅弘さんの「沈黙の子どもたち」に出会え感動を味わっています。

 明日は、この本の中から第5章の「リディツェ」を引用したいと思います。

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