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北海道開拓使の暗部[2019/05/18 土 AM 09:12]

 中島晃さんの「仏教と歴史に関する19の断想」の中に、「『樺戸集治監』のことなど-吉村昭『赤い人』を読んで」という小論があります。

 この小論は、明治政府が北海道開拓事業推進のために囚人たちが送り込まれ強制労働が行われた問題が取り上げられています。

 北海道開拓推進のために囚人が最初に収監されたのが、樺戸集治監。中島さんは、「722名の囚人の内、10名の死亡者が出ていた」と書いています。

 次に、採炭事業を行う目的で、空知集治監が建設され、「赤い人」で吉村昭さんは、「炭山への出役によって241人が病死または衰弱死し、7名の物が射殺、斬殺された。」と書いています。

 三番目の集治監は釧路集治監です。囚人は、硫黄山で硫黄を取ることを強制されます。

 中島さんは、「六カ月間に300余名の外役囚のうち145名が罹病し、42名が死亡した。」と書いています。

 釧路集治監の分監として網走分監が設置されます。網走分監は道路を作ることが主な任務です。

 中島さんは「栄養失調症による死者が156名、消火器疾患による死者2名、脱走により殺害された者3名、重労働に耐えかねて縊死した者1名とされている。」と書いています。

 その上で中島さんは、「はじめて北海道開拓使の暗部について教えられ、衝撃を受けた。それは、集治監の問題につきるわけではない。その前史として、アイヌの人々に対する和人の収奪があり、集治監の囚人の苦役に続いて、大規模の農場での小作人たちの苦難や、太平洋戦争の際の、中国・朝鮮から強制的に連行されてきた人々の炭鉱などでの苛酷な労役等々が、幾層にも積み重なっていることを見る必要がある。」と書いています。

 「アイヌの人々に対する和人の収奪」に関して、千葉大学文学部教授の中川裕さんは、「アイヌ文化で読み解く『ゴールデンカムイ』」の中で、「15世紀から18世紀末にかけての幾多の戦いの果てに、和人側がアイヌ側を完全に武力制圧し、経済的な支配下に置いたことで、明治時代にアイヌが日本という国に組み込まれる基盤がつくり上げられたのです。」と書いています。

 「大規模の農場での小作人たちの苦難」に関しては、小林多喜二の「不在地主」の中で赤裸々に描かれています。

 中国・朝鮮から強制的に連行された人々の炭鉱などでの苛酷な労役」に関しては、森村誠一さんの「笹の墓標」の中で赤裸々に描かれています。

 この本に殿平善彦さんの「『笹の墓標』によせて」という小論が掲載されています。

 殿平さんは、「日本各地に今も過去の戦争で強制連行された朝鮮人・中国人犠牲者の遺骨が残されている。北海道だけでも、札幌市にある本願寺別院に101体の遺骨、美唄市に6体、室蘭市の寺院に3体、赤平市の寺院に1体、根室市の寺院に1体、猿払村、朱鞠内にも・・・」と書いています。

 北海道開拓の「幾層にも積み重なった」暗部を知らなけれならないと痛感しました。

 そして、私が住む宇部市にも長生炭鉱水没事故や米騒動や宇部空襲など様々な歴史の暗部があります。

 自分が住む地域の歴史を知ることの大切さもこの文章を読んで実感しました。

 皆さんの住む地域ではどのような歴史がありますか。

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