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「仏教と歴史に関する19の断想」読書ノート②[2019/04/28 日 AM 08:13]

 中島晃さんの「仏教と歴史に関する19の断想」の内、「仏教」に関する部分を一気に読み終えました。

 社会運動を行いながら仏教を学ぶ私にとって、中島さんの一言一言は、慈雨のように私の心にしみわたりました。

 中島さんは、「仏教」の章の最後に、反戦僧侶・竹中彰元のことを書いています。 

 竹中は、真宗大谷派の僧侶でした。1937年10月26日、陸軍刑法違反により警察に逮捕されます。

 中島さんは、この辺りを次のように書いています。

 「1937年7月7日、盧溝橋事件を契機として、日本は全面的な中国侵略戦争を開始する。これをうけて、明泉寺のある岩手村からも、村人たちが次々と兵士として戦場に送られることになる。出征する兵士の中には、竹中が子どものときから知っていた明泉寺門徒総代の息子もいた。竹中は、日中戦争が始まって二カ月後の九月十五日、村人とともに、国鉄垂井駅まで行列を組んで出征兵士を見送る中で、たまりかねたように、『戦争は罪悪である、人類に対する敵であるから止めた方がよい』という戦争に反対する発言を行う。その場で、彼の発言を聞きつけた在郷軍人などの村人から、不謹慎だとして『痛罵難詰』されたという。しかし、彼はそれでも反戦の発言をやめず、10月10日、近くの寺院で行われた前住職の年忌法要の際にも、集まった僧侶の前で、『戦争は止めた方がよい。これ以上の戦争は侵略だ』と発言した。さらに彼は、10月21日に三回目の戦争反対の発言を行っている。」

 真宗大谷派は彼の布教使資格を剥奪します。戦後、竹中の名誉回復運動が起こります。

 その結果、2007年10月、真宗大谷派主催の「復権顕彰大会」が明泉寺で開催され、宗務総長の謝罪と宗派の処分を取り消す「宗派声明」が発表され、処分から70年目にしてようやく竹中の名誉回復は実現しました。

 中島さんは、竹中がこのように行動を起こした背景の一つとして次のことを指摘しています。

 「大谷派が1936年10月に、真宗聖典『御伝鈔』にある『主上臣下、法に背き義に違し、忿(いかり)を成し、怨みを結ぶ』という親鸞の『教行信証』の中にある字句を削除したことである。大谷派は、この一文が天皇をきびしく批判したものであることから、これを拝読禁止したのである。これにより、大谷派は宗祖親鸞の教えさえ捨て去ろうとした。」

 中島さんは、次の文章で、仏教の章を閉じています。

 「アジアと日本の民衆の多数の声明を奪い、多大の犠牲を強い、塗炭の苦しみをあたえた日本の軍国主義の嵐は、敗戦によって一旦止むことになった。その結果、焦土のなかで生まれたのが日本国憲法であり、戦争放棄を定めた9条の規定は、二度と戦争を繰り返してはならないという日本国民の切実な願いが結実したものである。それはまた、さきに述べた仏教者たちが説いた非戦の思想を受けついだものでもある。しかし、集団的自衛権容認に踏み切った現政権のもとで、憲法9条の規定そのものを変えようとする改憲の動きが急速に強まってきている。いま、竹中らの非戦の思想を受け継いで、非戦平和の声を広げることこそ、阿弥陀仏の悲願に向かって歩む菩薩の道ではないだろうか。非戦平和の実現は、仏の教えを信じるか否かにかかわりなく、すべての人々に共通する人類史的課題であることはいうまでもないが、それはなによりも不殺生と慈悲の教えを説く仏教者にとって、率先してめざすべき課題であるといわなければならない。」

 この一文は、取り分け、私の心にストレートに届きました。

 これからも仏教者の一人として、非戦平和の実現への道を歩みたいと決意を新たにしました。

 引き続き、中島晃さんの本から学びたいと思います。

1件のコメント »

  1. 私は「9条は仏の教え」と誰が教えてくれた仏教を尊敬しています。我が家も浄土真宗の檀家ですが、日本の憲法9条が世界に広まることを願っています。

    Comment by 藤本さとし — 2019/5/4 土曜日 @ 13:53:49

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