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立川談志[2019/03/02 土 AM 08:05]

 「落伍 昭和の名人極めつき」第4巻は、「立川談志」壱でした。

 マガジンに寄席文字書家の橘左近さんが立川談志をこう書いています。

 「独特の理論と型破りな芸風で、昭和の後半から平成の時代を疾風迅雷のごとく駆け抜けたのが立川談志」

 実は、これまでじっくり立川談志の落語を聞くことはありませんでした。

 ここに収められているのは、「道灌」と「桑名船」

 「道灌」では、談志のマクラの凄まじさに感服しました。

 「インド」の歴史などの博学ぶりにも感服しました。

 「桑名船」では、談志の演じる講釈の場面に驚嘆しました。

 談志特有の「あく」は、実力に裏付けられたものだったことに感じ入りました。

 放送作家の和田尚久さんは、談志の時代の落語界の様子をこう書いています。

 「当時の落語は、明らかに衰微していたということである。真打はもちろん、二ツ目までもが大ホールで独演会を開き、寄席にも観客が集まる現在と違い、当時の落語界では、定員300人の国立演芸場で月例独演会を開く談志が、いちばん客を呼ぶ落語家であった。それにしても、当日の夕方に演芸場に行けば、気軽に入場できた。志ん朝や小さんは独演会をめったに開かず、寄席は開いていた。1980年代のことだ。」

 談志は、「伝統」と「現代」を繋げようと力を尽くしてきました。このことは、「道灌」のマクラで言葉を解説しながら話を進める姿勢にも官官ることができます。

 しかし、談志とその時代の落語家の努力があったから、現在の落語の復興があったのだと思います。

 落語の浮き沈みはこれまでも何度もあったのかも知れませんが、1980年代から落語を復興させた、談志は、落語の中興の祖と言えると思います。

 談志は、多くの落語論を書いた人でもあります。談志の文章と何よりも落語で、談志の奥深い世界をこれから少しづつ知っていきたいと思いました。

 移動中の車の中で、今は、立川談志を聴く、今日この頃です。

 立川談志ファンの皆さん、皆さんのお勧めの一席、一冊をお教え下さい。

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