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川柳は見ていた[2018/11/29 木 PM 06:17]

 毎日新聞、27日付に玉木研二客員編集委員による「火論」が掲載されていました。

 扱われたのは、「十七文字の戦争-川柳誌から見た太平洋戦争と庶民の暮らし」(かもがわ出版)です。

 以前の本ブログで掲載した通り、私も読んだ本です。

 玉木さんはこう書き始めました。

 「川柳は皮肉と風刺、滑稽と哀感に生きる。時に権力の不興と不安を誘う。たとえば、戦前のプロレタリア川柳を唱えた鶴彬は『手と足をもいだ丸太にしてかへし』などと詠んで反軍の信念を鮮明にし、厳しい弾圧の中、20代の若さで死んだ。一方、日常の生活の中で川柳を愛した多くの無名の人らは、戦争中、どんな思いを作品にこめていただろうか。」

 玉木さんがこの本から選んだ戦争末期から終戦の部分を引用しましょう。

 「ひろがる絶望感。『どの駅も死んで来るぞの旗の波』しわ寄せは弱い者にくる。子供たちは飢えた。『柿熟す下に四五人の疎開の子』『食べられそうな草だが牛がにらんでる』敗戦。『敗けたなら生きてをらぬと生きてをり』徹底抗戦を叫んでいた者たちも軍国主義者からにわか民主主義者に変身した。『戦争は反対だった顔ばかり』。痛烈な一句。ここに戦後日本の『怪しさ』が凝縮しているかもしれない。」

 最後に、玉木さんはこう結んでいます。

 「今も為政者は毎朝、新聞の川柳欄を読んではいかが。その世情への眼力、おそるべしである。」

 私は、今、医療生協健文会と山口民報の川柳欄の選者をしています。

 一番最近の私の句です。

 「報酬は隠しコストはカットする」

 「皮肉と風刺、滑稽と哀感」出ていましたでしょうか。

 改めて、「十七文字の戦争」を読み直しました。

 「母を恋ふ盛り航空志願兵」

 「爆笑も警報までの映画館」

 どちらも1943年9月号の「番傘」に掲載された句です。

 このような句が生まれない時代を続けたいです。

 「戦争は反対だった顔ばかり」にならない平和な時代を続けたいです。

 川柳をはじめて四半世紀となりました。

 これからも川柳と楽しく格闘していきたいと思います。

 皆さんの川柳作品をお寄せ下さい。

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