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全電源喪失の記憶[2018/10/11 木 AM 07:02]

 妻が読んでいた共同通信社原発事故取材班 高橋秀樹編著「全電源喪失の記憶 証言・福島第一原発 日本の命運を賭けた5日間」を借りて読んでいます。

 この本の解説で、ジャーナリストの池上彰さんが、こう書いています。

 「あの日、自分はどこで何をしていたのか。みんなが語ることができる。それぞれの国の国民には、そんな共通の大事件や大ニュースがあるものです。(中略)いま日本で共通の記憶は、2011年3月11日でしょう。」

 7年半前の記憶ですから、20代以上の国民は、2011年3月11日午後2時46分の記憶はそれぞれ鮮明だと思います。

 私は、県議会議員3期目最後の2月県議会・最終本会議を終えた時でした。

 当時の知事は、二井関成さん。全員協議会室で、執行部と県議会議員の茶話会が行われていました。

 民主党の加藤議員(当時)さんが、全員協議会室に少し遅れて入ってこられて「東日本で大きな地震があったらしい」と言っておられた姿を鮮明に思い起こします。

 山口県で地震の影響は殆ど影響がありませんでしたので、茶話会は、時間通りで終了して、私は、控え室に戻りました。

 その時、3時過ぎだったと思います。控え室のテレビから、地震の速報が流れていました。

 まだ、地震の全容は分かりません。アナウンサーの緊張した顔が画面から流れていました。

 東日本大震災の直後の2011年4月に県議会議員選挙が行われ、私は、無事、県議会議員として4期目の活動を開始することが出来ました。

 下関市選出の木佐木県議とともに、2011年6月に、災害ボランティアとして、岩手県宮古市を訪ねました。

 更に、2014年9月、福島県を訪ね、事故が発生した原発周辺を視察しました。

 福島原発事故から7年半。高橋秀樹さんは、はじめにでこう書いています。

 「私たちが忘れてはならないのは、避難をしいられている福島県民がいまだ約5万人もいるという事実である。原発事故により長年住んだ我が家を追われ、たくさんの思い出が詰まった故郷に帰ることができなくなった人々が大勢いるという現実。福島を襲った原子力災害は遠いところの出来事ではない。読者の皆さんには是非、自分に置き換えて考えてみてほしい。事故はまだ何一つ、終わっていない。」 

 福島原発事故を、山口県に置き換えてみましょう。

 私は、上関原発は建設すべきではないと思います。

 それは、2014年に自分の目で、福島の被災地を実際に視察をした経験からも痛感する想いです。

 福島原発事故の記憶を私は忘れず、これからも政治に関わっていこうと決意を新たにしています。

 福島原発事故や原発に対する皆さんの想いをお教え下さい。

 

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