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「十七文字の戦争」読書ノート①[2018/10/06 土 AM 09:44]

 私は、30歳の頃、ラジオから時実新子さんの川柳の本の朗読を聞き、「川柳」を始めました。

 時実新子さんが主宰された「川柳大学」の同人として、関西で開かれる会合にも参加して、指導を受けてきました。

 川柳を始めて20年以上となりました。

 今は、医療生協健文会機関紙「健康のひろば」と山口民報の川柳欄の選者を務めています。

 さて、今、田村義彦著「十七文字の戦争 -川柳誌から見た太平洋戦争と庶民の暮らし-」を読んでいます。

 戦争と川柳を語れば、「手と足をもいだ丸太にしてかえし」を戦時中に発表した反戦川柳作家「鶴彬」が有名です。

 私にとって「鶴彬」は、時実新子さんと並んで私が尊敬する川柳作家です。

 太平洋戦争中に発行されてきた川柳誌にどのような句が掲載されてきたかを描いた著作は初めて読みました。

 1942年7月に発行された川柳誌「番傘」に「作句道場」の選者・小田夢路はこう書いています。

 「・・・大東亜戦争下の今日、思想関係とか、防諜関係から余程注意して作句せねばならないなつてゐるため、お互いがその安全を期するの余り、作句範囲をいよいよ狭く考えて、あれもいけない、これもいけないと恐れすぎてゐる傾向さえうかかがはれて、選者は益々むつかしく戦時下と云う広い意味の題詠の選をしてゐるやうなもので、自然厳選せざるを得ぬので困ってゐるのが本当のことである」

 1942年7月に発行された川柳誌「川柳きやり」に「文学報国会の設立に寄す」という記事が掲載されています。

 「新世界観を樹立せよ 大東亜戦争と文芸の使命 情報局次長 奥村喜和男・・・近代戦は、総力戦であるといわれる、大東亜戦争はその意味で、単に武力選のみならず、経済戦、宣伝戦、思想戦、文化戦の前面にわたる一大綜合戦だといわれてゐる、そこでその思想戦、文化戦に特に関係の深い文芸家の方々が、強力な一元的団体を組織され、その走力を結集されるということは、物的人的すべての力を、戦争目的に集中するという総力戦の立場からも必要な措置といふことができるのである(略)」

 1942年、5月26日「日本文学報国会」が組織され、川柳を含む文学が丸ごと翼賛体制に取り込まれてしまいました。

 1942年、「川柳けやり」5月号にはこのような句が掲載されています。

 奉安殿ヨイコに成つたぼんのくぼ 埼玉 大塚劍狂兒

 1941年生まれの田村さんは、この句にこのような解説を行っています。

 「奉安殿=天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めた建物。この建物の前では神社に参拝するように、深々とおじぎをすると、ほんのくほが見えます。私にもおじぎした記憶があります。『どうして?』『ここではそうするの』とおふくろ。まだ戦前をひきずっていたのですね。敗戦後間もなく市役所の前。奉安殿が壊されたがれきの前でした。四歳の幼児にはがれきの山に見えました。」

 第4次安倍改造内閣の柴山文科大臣が、教育勅語を現代的にアレンジすれば、教育で使うことを「検討に値する」と発言しました。

 教育勅語の根本原理は「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」です。

 教育勅語は、戦前に果たした役割の反省から戦後、1948年に衆議院で「排除決議」が、参議院で「失効決議」が採択されています。戦後、両院は教育勅語を否定する決議を行っているのです。

 庶民から自由に川柳を読む自由を奪い、「お国のために血をながせ」と教えた時代に逆行させる大臣の発言は許されません。

 私の最近の川柳の句に次があります。

 「トランプに会う度武器を買わされる」

 このような句を書いたら鶴彬のように逮捕され投獄されるような世の中に戻してはなりません。

 表現の自由が保障されるとはどういうことか、戦争に向かう翼賛体制とはどういうものだったのかを考えさせる良著です。

 1942年5月の「番傘」に次の句があります。

 「喜んで死ねる覚悟に育てられ 大牟田 しかを」

 このような句ばかりが新聞の川柳欄に並ぶ時代を戻してはなりません。

 これからも時実新子さんの指導を思い起こしながら自由に川柳を書き続けようと決意を新たにする良著でした。

 田村義彦著「十七文字の戦争」から引き続き多くの事を学んでいきたいと思います。

 

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