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美祢市木喰仏ツアー(パート2)[2017/12/03 日 AM 07:52]

 12月1日、兵庫県川辺郡猪名川町の浄土宗天乳寺下條住職と一緒に、美祢市の木喰仏を訪ねて回りました。

 昨日は、美祢市秋芳町の木喰仏6体を巡った様子を報告しました。

 今日は、美祢市美東町の木喰仏4体を巡った報告をします。

 寛政9年7月7日から8月15日まで閏7月を挟み約2カ月、木喰上人は、秋芳町広谷に滞在します。

 そこで、少なくとも6体の仏像を彫り、木喰上人は、8月15日、広谷を立ち、8月16日から9月7日まで、美東町北河内の薬師堂で、少なくとも4体の仏像を彫ります。

 まず、北河内公会堂で保存されている日光菩薩立像と月光菩薩立像です。

 日光は、左手に日輪を奉持し、右手で左裾を執っています。

 月光は、右手で月輪を奉持し、左手で右裾を執っています。

 美東町史にも内田伸氏の著作にも日光像に「月廿三日成就ス」との文字が残り、月光像に「月廿 日成就ス」とあると書いてあります。

 1日、に下條住職と確認したとろこ、23日に成就すと読み取れるのは、月光像の方ではないかと思われました。

日光月光

 月光像の裏に23日の文字が読み取れます。

 内田氏の著作を美東町史が踏んだのか、専門家による鑑定をお願いしたいと思います。

 いずれにしても、北河内公会堂に安置されている日光像・月光像は、木喰上人が、北河内薬師堂滞在中の8月23日頃に完成させた仏像であると思われます。

 長登福永家の釈迦如来坐像は、9月4日に成就すと書いてあります。これも北河内薬師堂で彫ったものだと思われます。

 福永家は絵堂にあり、絵堂にあったと思われる法香院から、分家を許された時にこの木喰仏を頂いたとの口伝が残されています。

 北河内と絵堂なら距離も近いので、北河内の木喰仏が渡されたことにリアリティがあることが分かりました。

 大田地蔵院の弘法大師像について内田伸氏は「寛永9年、地蔵院の住職が広谷に滞在して仏像を彫っていた木喰に依頼して、作ってもらったものと思われる」と書いています。

 地蔵院である美東町有形文化財にした時の説明版には「北河内薬師堂で、20日間、滞在して4体を彫刻した内の一つ」と書いてありました。

 彫刻の部材に注目すると、北河内の日光・月光、福永家の釈迦、そして大師は、みな「タブ材」なのです。

 大田の地蔵院は、むしろ北河内に近く、大使像は、広谷で製作されたのではなく、北河内で製作したのと思われます。

 下條住職と改めて美祢市の木喰仏を巡り、新しい発見が多数ありました。

 下條住職が住んでおられる猪名川町には、26体の木喰仏があります。町の教育委員会が独自のパンフレットを作り広報を行っています。

 また、町の音頭で、「稲川木喰会」が結成され、地域内の木喰仏を検証したり、各地の木喰を巡る活動をされているそうです。

 山口県にも53体の木喰仏が現存しています。各地域での広報資料や顕彰会の確立及び県レベルでの木喰仏の広報資料の作成が求められていると思いました。

 下條住職から、昨年10月から12月に浜松市博物館で行われた「遠江(とうとうみ)の木喰仏」展の図録をいただきました。

 浜松市周辺の木喰仏を展示する特別展を開催した様子がよくわかりました。

 山口県でも、昭和45年に、県内の木喰仏を集めた展示会が行われたようです。

 その時に、県内の木喰仏の調査も行われ、福永家の木喰仏が掘り起こされたようです。

 前回の展示会から半世紀が経過しようとしています。

 山口県でも博物館が展示会の開催を決め、県内の再調査を行う時期ではないかと思います。

 下條住職から「藤本さん山口県でも木喰仏の調査を続けてください。」と励まされました。

 美祢市の木喰仏を再度めぐることで新たな発見も多数ありました。

 これからも、美祢市だけでなく、他の地域の木喰仏を少しづつめぐり調査と記録を取っていきたと決意を新たにしました。

 また、少しづつ他の地域の木喰仏愛好家の方との交流も深めていきたいと思います。

 年内外の木喰仏愛好家・研究家の皆さんご意見をお聞かせ下さい。

 

 

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