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美祢市木喰仏ツアー(パート1)[2017/12/02 土 AM 10:27]

 私は、2015年に浄土真宗本願寺常光寺の責任役員を就任し、仏教の勉強を少々続けてきました。

 2015年9月に島根県立石見美術館で行われた「祈りの仏像」を見学し、その中に、木喰仏8体がありました。

 8体の内、5体が、私が住む宇部市極楽寺の木喰仏でした。

 その後、木喰仏の県内での足跡を調査する中で、山口県内に木喰仏が53体程度あることが分かりました。

 山口県は、現存する木喰仏が新潟県、静岡県に次いで多い県であることが分かりました。

 木喰上人が、九州の国分寺の僧侶をやめ一遍路になり、移動しながら、その地域で木喰仏を残していきます。

 その始まりが、山口県であることも分かっています。

 木喰上人は、「千体」の仏像を彫ることを誓いますが、その最初が、美祢市秋芳町の広谷滞在中に彫った仏像です。

 その仏像が、福王田観音堂に残っています。

 さて、美祢市内の木喰仏を調査した内容を昨年4月、全国木喰研究会の機関誌「微笑佛」に発表しました。

 先日、私の文章を読んでいただいた、兵庫県川辺郡猪名川町の浄土宗天乳寺の下條一弘さんから「美祢市の木喰仏を観させていただきたい」と電話が入りました。

 そして、昨日。下條住職とともに美祢市内の木喰仏を一気に見学しました。

下條住職と

 最後に訪ねた大田地蔵院(右が下條住職)

 木喰上人が美祢市に滞在していたのは、寛成年間、80才の頃です。

 猪名川町に木喰上人が滞在したのは、93才の頃、約3カ月で33体を彫り、天乳寺には3体があります。

 下條住職に多くの教えをいただきながら、木喰上人が、千体の仏像を彫ることを最初に誓った広谷・福王田に向かいました。

 木喰上人は広谷には約2カ月逗留して、6体の木喰仏を彫っています。

 その内、3体は、福王田観音堂に安置されています。

 残りの3体は広谷の毘沙門堂に安置されています。

 観音堂で一番大きい像は、「如意輪観世音大士座像」であり、毘沙門堂で一番大きい像は、毘沙門天像です。

広谷毘沙門堂

毘沙門堂で一番おおきい像は毘沙門像でした。

 下條住職は、「観音堂では観音像を毘沙門堂では毘沙門像を一番大きく作っている。地元からの要請にこたえて木喰上人が仏像を作成したことがうかがえる。」と解説しました。

 また、毘沙門堂の不動明王立像の左手は、棒を持った痕がありました。毘沙門天立像の兜の上には、飾りを埋めた痕が残っていました。下條住職は、「不動明王は何らかの金棒を持っていたのだろう。毘沙門天立像の兜には頂点に飾りがあったのだろう。」と解説しました。

毘沙門兜

 福王田観音堂の毘沙門像の兜の上の痕

 下條住職と一緒に見学することによって、今まで分からなかった新たな発見が多数ありました。

 美祢市美東町北河内で彫った4体の木喰仏のことは明日以降のブログで紹介していきます。

 木喰仏への想いをお聞かせ下さい。

 

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