環境と福祉の充実を目指して

自民政権復帰後 献金最多に [2017/12/05 火 AM 08:27]

 今朝のしんぶん赤旗日刊紙は「自民党の政治資金団体『国民政治協会』(国政協)への企業からの献金が、第二次安倍政権が発足して4年連続で増えつづけ、自民党の政権復帰(2012年12月)後、最多となったことが、総務省が公開した16年政治資金収支報告書でわかりました。日本経済団体連合会(経団連、会長・榊原定征・東レ最高顧問)は、4年連続で政党の政策評価を実施。法人税減税などを放火し、自民党などへの献金を会員企業に呼びかけており、安倍政権と財界の癒着の深まりを示しています。国政協への企業献金の総額は、約19億5400万円(13年)から、約23億2400万円(16年)と、第二次安倍政権発足後から毎年増え続けています。」と報じました。

 11月30日の参議院予算委員会での小池晃書記局長の「大企業全体で内部留保を構成する利益剰余金は、2012年度から16年度にかけてどれくらい増えたか。一人当たりにするとどれだけか」との質問に対し、麻生財務相は法人企業統計に基づき、資本金が10億円以上の大企業の利益剰余金は12年の177.7兆円から16年の245兆円まで、67兆円以上増えたと答弁しました。労働者一人当たりにすると、12年の2110万円から16年2910万円の増加になっていると述べました。

 法人税減税は、4年間で、4兆円減税されました。その半分をトップ100社が占めています。法人善減税などにより当期純利益は11.1兆円増加しました。内訳は、およそ半分が内部留保(5.6兆円)として積み増しされました。残りの約半分が各部式の配当金(2.8兆円)や、自社株の消却(2.1兆円)に使われました。従業員の給与に回ったのはわずか3千億円、3%程度にすぎません。

 法人税減税を行ったことを評価して、財界が自民党に献金する。

 法人税減税は、労働者の賃上げに回らず内部留保に消える。

 内部留保の一部が献金には回るが労働者に回らない。

 財界が自民党に献金による政策誘導をしている。

 このような現状を放置していいはずがありません。

 経団連は、今年の政策評価で、消費税10%への増税などを要望し、今後の課題として法人税25%まで引き下げることを求めています。

 財界の自民党への献金による政策誘導が更に進めば、更に消費税が上がり、法人税は減税され、法人税減税による税収減を消費税増税で穴埋めするかっこうになります。

 法人税減税は、労働者の賃金を上げないだけではなく、消費税増税を誘発します。

 そして、消費税を上げても、法人税減税の穴埋めとなり、社会保障の財源にはならないことも明らかです。

 財界いいなりの政治を転換していかなければなりません。

 小池書記局長は質問で「内部留保を賃上げに回す。正社員の雇用を増やす。下請け中小企業にきちんと代金払う。法人税の減税をやめて能力に応じた負担を求める。そのことで社会保障の財源をつくり、財政再建の道も開く。これこそが経済の好循環だ」と日本共産党の経済再生の提案を紹介しました。

 日本共産党は、この提案を国民の皆さんとともに実現していきたいと思います。

 財界の自民党への献金が年々増えています。

 皆さんはこの状況をどうお考えですか。お教え下さい。

記憶の澱 [2017/12/04 月 AM 09:44]

 今朝の深夜に放送されたNNNドキュメント‘17 山口放送制作「記憶の澱」を観ました。

 この番組は、今年の日本民間放送連盟賞「テレビ報道番組」部門最優秀賞と放送文化大賞グランプリをダブルで受賞しました。

 この番組を手掛けた山口放送の佐々木聰さんが、2日(土曜日)のしんぶん赤旗日刊紙の「ひと」のコーナーに登場されています。

 この番組は、「戦時下の性暴力や民間人の殺害・・・。体験者の証言を集めて反戦を訴えるドキュメンタリー」です。

 佐々木さんは、「ひと」の中で「苦しい戦争体験を語ってくれた人たちが、『取材に協力できてうれしい』と喜んでくれたことが何よりです」「想像以上の証言が寄せられたのは、『いま言わなければ何も残らない』というみなさんの使命感でした」「戦争はメディアが取り組まなければならない大きなテーマ。今回の受賞で『もっと続けろ!』と背中を押された気がします」と語っています。

 佐々木さんには、「戦争」を扱うドキュメンタリーを更に作っていただきたいと思います。 

 同じ山口県ですので、佐々木さんのお話しを直接お聞きしたと思いました。

 私は、「記憶の澱」を観て、97才の近藤一さんの涙が最も印象的でした。

 近藤さんが涙を流したのは沖縄戦での思い出でした。

 「20代前半の兵士が、アメリカ軍の戦車の下に爆弾を投げ込む攻撃をする。日本兵は10人が10人が亡くなった。これが沖縄戦だ。」という趣旨の話しをしながら近藤さんは慟哭します。

 もう一つ印象に残ったのは、岐阜県の黒川集落から満州の開拓団として入植して、終戦時、ソ連兵に対し「性接待」を強いられた和子さんが遺した歌です。

 一つは、「次に生まれときは平和の時に生まれたい 花咲く青春をつづりたい」という内容の歌です。

 もう一つは「侵略した開拓団 王道楽土を夢見て過ごした日々が恥ずかしい」という内容の歌です。

 中国戦線で、ある集落の掃討作戦に参加した鹿田さんの言葉も忘れられません。

 「中国人がかわしそうだという気もはない。彼らを人間だと思ったら戦えない」

 人間を獣にしてしまうのが戦争だということが鋭く伝わるドキュメンタリーでした。

 戦争を実際に体験した方が、90才前後になられています。

 佐々木ディレクターの戦争を取り扱った新しいドキュメンタリーに大いに期待しています。

 佐々木ディレクターすばらしい番組をありがとうございました。

 皆さんも是非、「記憶の澱」をご覧ください。

 

 

美祢市木喰仏ツアー(パート2) [2017/12/03 日 AM 07:52]

 12月1日、兵庫県川辺郡猪名川町の浄土宗天乳寺下條住職と一緒に、美祢市の木喰仏を訪ねて回りました。

 昨日は、美祢市秋芳町の木喰仏6体を巡った様子を報告しました。

 今日は、美祢市美東町の木喰仏4体を巡った報告をします。

 寛政9年7月7日から8月15日まで閏7月を挟み約2カ月、木喰上人は、秋芳町広谷に滞在します。

 そこで、少なくとも6体の仏像を彫り、木喰上人は、8月15日、広谷を立ち、8月16日から9月7日まで、美東町北河内の薬師堂で、少なくとも4体の仏像を彫ります。

 まず、北河内公会堂で保存されている日光菩薩立像と月光菩薩立像です。

 日光は、左手に日輪を奉持し、右手で左裾を執っています。

 月光は、右手で月輪を奉持し、左手で右裾を執っています。

 美東町史にも内田伸氏の著作にも日光像に「月廿三日成就ス」との文字が残り、月光像に「月廿 日成就ス」とあると書いてあります。

 1日、に下條住職と確認したとろこ、23日に成就すと読み取れるのは、月光像の方ではないかと思われました。

日光月光

 月光像の裏に23日の文字が読み取れます。

 内田氏の著作を美東町史が踏んだのか、専門家による鑑定をお願いしたいと思います。

 いずれにしても、北河内公会堂に安置されている日光像・月光像は、木喰上人が、北河内薬師堂滞在中の8月23日頃に完成させた仏像であると思われます。

 長登福永家の釈迦如来坐像は、9月4日に成就すと書いてあります。これも北河内薬師堂で彫ったものだと思われます。

 福永家は絵堂にあり、絵堂にあったと思われる法香院から、分家を許された時にこの木喰仏を頂いたとの口伝が残されています。

 北河内と絵堂なら距離も近いので、北河内の木喰仏が渡されたことにリアリティがあることが分かりました。

 大田地蔵院の弘法大師像について内田伸氏は「寛永9年、地蔵院の住職が広谷に滞在して仏像を彫っていた木喰に依頼して、作ってもらったものと思われる」と書いています。

 地蔵院である美東町有形文化財にした時の説明版には「北河内薬師堂で、20日間、滞在して4体を彫刻した内の一つ」と書いてありました。

 彫刻の部材に注目すると、北河内の日光・月光、福永家の釈迦、そして大師は、みな「タブ材」なのです。

 大田の地蔵院は、むしろ北河内に近く、大使像は、広谷で製作されたのではなく、北河内で製作したのと思われます。

 下條住職と改めて美祢市の木喰仏を巡り、新しい発見が多数ありました。

 下條住職が住んでおられる猪名川町には、26体の木喰仏があります。町の教育委員会が独自のパンフレットを作り広報を行っています。

 また、町の音頭で、「稲川木喰会」が結成され、地域内の木喰仏を検証したり、各地の木喰を巡る活動をされているそうです。

 山口県にも53体の木喰仏が現存しています。各地域での広報資料や顕彰会の確立及び県レベルでの木喰仏の広報資料の作成が求められていると思いました。

 下條住職から、昨年10月から12月に浜松市博物館で行われた「遠江(とうとうみ)の木喰仏」展の図録をいただきました。

 浜松市周辺の木喰仏を展示する特別展を開催した様子がよくわかりました。

 山口県でも、昭和45年に、県内の木喰仏を集めた展示会が行われたようです。

 その時に、県内の木喰仏の調査も行われ、福永家の木喰仏が掘り起こされたようです。

 前回の展示会から半世紀が経過しようとしています。

 山口県でも博物館が展示会の開催を決め、県内の再調査を行う時期ではないかと思います。

 下條住職から「藤本さん山口県でも木喰仏の調査を続けてください。」と励まされました。

 美祢市の木喰仏を再度めぐることで新たな発見も多数ありました。

 これからも、美祢市だけでなく、他の地域の木喰仏を少しづつめぐり調査と記録を取っていきたと決意を新たにしました。

 また、少しづつ他の地域の木喰仏愛好家の方との交流も深めていきたいと思います。

 年内外の木喰仏愛好家・研究家の皆さんご意見をお聞かせ下さい。

 

 

美祢市木喰仏ツアー(パート1) [2017/12/02 土 AM 10:27]

 私は、2015年に浄土真宗本願寺常光寺の責任役員を就任し、仏教の勉強を少々続けてきました。

 2015年9月に島根県立石見美術館で行われた「祈りの仏像」を見学し、その中に、木喰仏8体がありました。

 8体の内、5体が、私が住む宇部市極楽寺の木喰仏でした。

 その後、木喰仏の県内での足跡を調査する中で、山口県内に木喰仏が53体程度あることが分かりました。

 山口県は、現存する木喰仏が新潟県、静岡県に次いで多い県であることが分かりました。

 木喰上人が、九州の国分寺の僧侶をやめ一遍路になり、移動しながら、その地域で木喰仏を残していきます。

 その始まりが、山口県であることも分かっています。

 木喰上人は、「千体」の仏像を彫ることを誓いますが、その最初が、美祢市秋芳町の広谷滞在中に彫った仏像です。

 その仏像が、福王田観音堂に残っています。

 さて、美祢市内の木喰仏を調査した内容を昨年4月、全国木喰研究会の機関誌「微笑佛」に発表しました。

 先日、私の文章を読んでいただいた、兵庫県川辺郡猪名川町の浄土宗天乳寺の下條一弘さんから「美祢市の木喰仏を観させていただきたい」と電話が入りました。

 そして、昨日。下條住職とともに美祢市内の木喰仏を一気に見学しました。

下條住職と

 最後に訪ねた大田地蔵院(右が下條住職)

 木喰上人が美祢市に滞在していたのは、寛成年間、80才の頃です。

 猪名川町に木喰上人が滞在したのは、93才の頃、約3カ月で33体を彫り、天乳寺には3体があります。

 下條住職に多くの教えをいただきながら、木喰上人が、千体の仏像を彫ることを最初に誓った広谷・福王田に向かいました。

 木喰上人は広谷には約2カ月逗留して、6体の木喰仏を彫っています。

 その内、3体は、福王田観音堂に安置されています。

 残りの3体は広谷の毘沙門堂に安置されています。

 観音堂で一番大きい像は、「如意輪観世音大士座像」であり、毘沙門堂で一番大きい像は、毘沙門天像です。

広谷毘沙門堂

毘沙門堂で一番おおきい像は毘沙門像でした。

 下條住職は、「観音堂では観音像を毘沙門堂では毘沙門像を一番大きく作っている。地元からの要請にこたえて木喰上人が仏像を作成したことがうかがえる。」と解説しました。

 また、毘沙門堂の不動明王立像の左手は、棒を持った痕がありました。毘沙門天立像の兜の上には、飾りを埋めた痕が残っていました。下條住職は、「不動明王は何らかの金棒を持っていたのだろう。毘沙門天立像の兜には頂点に飾りがあったのだろう。」と解説しました。

毘沙門兜

 福王田観音堂の毘沙門像の兜の上の痕

 下條住職と一緒に見学することによって、今まで分からなかった新たな発見が多数ありました。

 美祢市美東町北河内で彫った4体の木喰仏のことは明日以降のブログで紹介していきます。

 木喰仏への想いをお聞かせ下さい。

 

望月衣塑子さん講演会 [2017/12/01 金 AM 07:43]

 全国革新懇ニュース391号(2017年7月8月合併号)に、東京新聞社会部記者の望月衣塑子さんのインタビューが掲載されています。

 加計学園問題で注目された「総理のご意向」文書。それを「怪文書」として葬り去ろうとする菅官房長官に鋭く質問を続けて食い下がったのが望月さんです。

 翻訳家の池田香代子さんは、望月さんについて「私たちの知る権利を守るためにすい星のごとくあらわれた記者」と評価しています。

 望月さんは、加計問題についてこう述べています。

 「『文書は確実に存在する』と会見で明らかにした前川さん(文科省前政務次官)に直接、くわしく話を聞きました。告発に踏み切った思いの深さを知りました。大変な苦しさを乗り越え、当事者としての勇気、決心を持って証言された。政治がこんなに歪められ、私物化されている疑惑があるのに放置されていいのか-、どうしても直接、菅さんに問いただしたい、という思いを強めました。菅さんを追求することで私が受けるかも知れないいやがらせなどにたじろいでそうするのか、国民の『知る権利』のいわば代弁者として会見に臨むことができる記者が質問しなくて何が記者だ、と考えました。それとまあ、私にはネジが1本抜けて、空気が読めないところがあるからできたのかもしれませんね(笑)。こんな質問を続ければ、周りにどんな影響があるか、どんないやがらせがあるか、など気にしていたら、できなかったでしょう。勿論、会見に出たら政権を敵に回すことにもなりかねないという恐怖は、前川さんの話などから感じてはいましたが。

 望月さんは、安倍政治についてこう述べています。

 「安倍さんがどういう日本をつくろうとしているのか。私は武器輸出問題を取材していますが、安倍さんのいう世で有用な役割を果たす国というのは、自衛隊の海外派兵もおこなう、欧米列強などとならんで武器も輸出する、軍産複合体がのさばる国家のように思えるのです。これは、日本が9条を中心に戦争をしない国を目指した、現行の憲法のもとで歩んできた国とは方向が違う、平和をかかげてきた国家のあり方がゆらいでいるのではないか、と危惧しています。しかも学校ひとつ造ることにも『総理のご意向』がまかり通る社会になっている。民主主義国家なのか、問われているように思います。この道が本王に人びとに幸せをもたらすのか、現在の状況を伝え、国民への警鐘を鳴らさなければならないと感じています。」

 私は、この記事を読んで、是非、うべ憲法共同センターの市民公開講座の講師に来ていただこうと望月さんにメールを送りました。

 先月末に、望月さんから「4月でしたらお引き受けさせて頂きたいと思います」という返事が来ました。

 うべ憲法共同センター 第7回市民公開講座として、4月8日(日)午後2時~

 宇部市多世代ふれあいセンター2階ふれあいホールで行うことが決定しました。

 演題等詳細は現在進行中ですが、年内には、案内チラシを作成したいと思っています。

 望月さんから快諾のメールをいただき、近著の「新聞記者」を読んでいます。

 この本は、望月さんの自伝でもあります。

 小学生の頃は、ミュージカルの子役として活躍し、俳優養成所にも通い女優への道を目指していた望月さん。

 中学生の頃、フォトジャーナリスト吉田ルイ子さんの著作を読んだことがジャーナリストの道に進むきっかけになったと語る望月さん。

 この本を読むと、益々、望月さんのお話しが楽しみになります。

 4月8日(日)午後2時からの望月衣塑子講演会にこうご期待下さい。

 望月衣塑子さんへの想いをお教え下さい。

 

「イージス・アショア」県内配備に関する申入れ [2017/11/30 木 AM 07:30]

 昨日、安保条約廃棄・岩国基地撤去山口県実行委員会(中野敏彦代表)と山口県平和委員会(吉岡光則会長)は、村岡山口県知事に対し「イージス・アショア」年内配備に関する申入れを行いました。

イージス・アショア

申入れ書を渡す吉岡山口県平和委員会会長(左)

 11月12日の新聞報道で、政府は、11日、山口と秋田両県に地上波日型迎撃システム「イージス・アショア」を配備する方向で地元の調整に入り、12月中旬にも閣議決定する方針であると伝えています。そして、山口県の配備先として萩市の陸上自衛隊のむつみ演習場を候補地として進められていると報道されています。

 「イージス・アショア」は、米海軍や陸上自衛隊のイージス艦に搭載している迎撃システムを地上に設置し、大気圏外を飛行する弾道ミサイルを破壊するもので、2基あれば日本をカバーできるとされています。

 広大な施設に多数の付属施設群からなる巨大な「ミサイル基地」であり、自衛隊施設内であるとはいえ「新規の基地建設」で県民、市民の同意無しに強行することはあってはなりません。

 そもそも、北朝鮮が発射するミサイルはアメリカを対話の席に着かせる示威行為であると認識されています。そのミサイルを迎撃するために、しまも使いこなせるかも不明な兵器システムに1基800億円と要員600名の巨額な血税を投入する合理性があるのでしょうか。

 申し入れ書は「『ミサイル基地』になれば警戒は厳重を極めることになり、自由な市民社会が制限される事態も考えられます。また、弾道ミサイル追尾レーダーが発する強力な電磁波による自然環境や人体への影響も看過できないもので、まずは公正な環境影響調査が行われなければなりません。そして、最も重大なことは、『ミサイル基地』は万一の事態に際して、敵の最大の攻撃目標になることで、岩国基地とあわせて県民、市民の命が脅かされることに納得が得られるとは到底考えられません。」とし、「県民の安全を守る責務を持つ知事として、県民の平和的生存権を脅かす新たな『ミサイル基地』への県内への設置は断念するよう政府及び関係機関に申し入れること」を県知事に要請しています。

 対応した山口県総務部村田友宏危機管理監らは「防衛省に問い合わせたところ、『イージス・アショアをどこに配置するかは、決定していない』との回答だった。配置場所が決まったならば、国において、関係自治体に丁寧な説明を行っていただきたい。」などと答えました。

 申入れ参加者から人体に与える影響をどう考えるかとの問いに、村田危機管理監らは「国は、電波法に則り適切に対応すると言っている」と答えました。

 私は、「防衛省は『イージス・アショア」に関し来年度予算計上し、2023年までに運用開始したいと言っている。急いで事実確認をすべきだ」と質しました。村田危機管理監らは「報道にそうように書かれていたことは承知している。引き続き、情報収取は行っていきたい。」と答えました。

 「イージス・アショア」について皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

米軍が最も恐れた男 [2017/11/29 水 AM 07:03]

 日本共産党の雑誌「月刊学習」12月号の「発掘あの時あの写真」で瀬長亀次郎さんが那覇市長に当選した時の写真が掲載されています。

 「1956年12月25日、米軍全面占領下の沖縄・那覇市長選挙で、沖縄人民党の瀬長亀次郎書記長が当選しました。『命はないぞ』といった脅迫など激しい攻撃をのりこえての勝利でした。米占領軍は、那覇市への銀行資金の凍結、水源ストップによる『水攻め』などで新市長の妨害をはかりました。瀬長市政を支えたのは市民でした。翌年3月に開かれた『市政報告市民集会』には、5万人が参加。瀬長市長は『私の背後には11万市民、80万県民、9千万祖国の同胞の団結があることを確信して勇気をだしてやっています』と訴えました。財政難から市政を守るための自発的な納税運動がおこり、納税率は97%に達しました。納税者の列が役所まで五百メートルも続いたといいます。市民は自らの力で米占領軍を突き崩しはじめました。」

 私は、姪の結婚式で沖縄を訪ねた際、「瀬長亀次郎と民衆資料 不屈館」に立ち寄りました。

 会場に、佐古忠彦監督の映画「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」のポスターが貼られていました。

 映画の元になったTBS制作の昨年8月に放映された「米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか?~」を購入し、帰ってきて観ました。

 瀬長市長を支えた市民の団結が、今日の「オール沖縄」の流れにつながっていることを実感しました。

 不屈館では亀次郎さんの次女で館長の内村千尋さんにお会いできました。

不屈館

   不屈館で内村館長にお会いしました。

 不屈館では、瀬長さんが書かれた「不屈」の文字がデザインされた「不屈Tシャツ」を購入し早速、沖縄では着て移動しました。

 日本共産党中央委員会幹部会副委員長で衆議院議員でもあった瀬長亀次郎さん。「不屈館ガイドブック」には瀬長さんのこのような文章が紹介されています。

 「私は非核・非同盟・中立の日本の実現をめざし、平和と社会進歩のため不屈に歩みつづけるつもりである。」

 「不屈館」を訪ね、ドキュメンタリー番組などで、瀬長さんの生き方に触れました。

 瀬長さんの事を想うと笑顔になれます。

 市民とともに歩もうという勇気が湧いてきます。

 「米軍が最も恐れた男」是非、映画館で観たいと思います。

 瀬長亀次郎さんへの想いをお聞かせ下さい。

艦載機部隊の主力戦闘機が移転 [2017/11/28 火 PM 03:58]

 今日昼のNHK山口放送局は、「来年にかけて神奈川県のアメリカ軍厚木基地から山口県岩国基地に配備される計画の空母艦載機部隊のうち、主力の戦闘攻撃機など15機が28日、午前、岩国基地に到着し、部隊の移転が本格化しました。28日、午前11時ごろ、アメリカ軍の空母艦載機部隊の主力の戦闘攻撃機FA18ホーネット6機が山口県の岩国基地に到着しました。さらに正午ごろにかけて、FA18スーパーホーネットと敵のレーダーを無力化する電子戦機、EA18Gグラウラー合わせて9機が相次いで滑走路に着陸しました。28日に到着した戦闘機のうち1機を除いて、今月25日までに先着していた11機とともに岩国基地の配備となり、艦載機の移転第一陣としてことし8月に到着した5機と合わせると、移転する61機程度の半分近くが岩国基地に移ったことになります。計画では来年の5月ごろにかけては、残りのFA18スーパーホーネット24機と今月22日に日本の南の会場で墜落したC2輸送機が移転する予定です。」と報じました。

 山口県は、基地問題の基本姿勢として①今以上の基地機能は容認できない②NLPの実施は容認できないとしてきました。

 基本スタンスとして①これ以上の負担増は認められない②普天間基地移設の見通しが立たないうちに、空母艦載機部隊の移駐のみを切り離して進めることは認められないとしてきました。

 私は、先日沖縄県を訪ねました。

 24日の沖縄タイムズは、「名護市辺野古の新基地建設を巡、護岸建設用石材を国頭村奥港から会場輸送する問題で、奥集落は23日、区民総会を開き、湊の使用反対を全会一致で決議した。24日に臨時役員会を開いて抗議文を作成し、県や沖縄防衛局に提出する予定。」と報じました。

 先の総選挙でも沖縄4小選挙区中3選挙区で、辺野古新基地建設反対の「オール沖縄」の候補が勝利しました。

 私は沖縄県を訪問した実感として「普天間基地移設の見通し」は全く立っていないと思います。

 県は、県民と岩国市民と約束である基地問題での基本姿勢と基本スタンスをことごとく投げ捨て、国・米軍いいなりに、空母艦載機部隊移駐を容認しました。

 住民との約束を反故にして、空母艦載機移駐を許した県と岩国市の責任は重大だと思います。

 何よりも、アメリカいいなりで岩国基地の東アジア最大の基地化を進める日本政府の責任は極めて重大です。

 私は、これ以上の基地機能の強化には反対という県民と岩国市民と連帯して、また辺野古新基地建設反対で今日も頑張っている沖縄県民の皆さんと連帯して、際限のない岩国基地の拡大強化を食い止めるたたかいとともに進めていく決意です。

 空母艦載機部隊の岩国基地移転が本格化しています。

 皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

生活保護の世帯分離 [2017/11/27 月 AM 08:10]

 沖縄旅行中の25日付け沖縄タイムズの社説は「生活保護の世帯分離」を取り上げていました。

 「保護世帯の高校生が進学するには、制度上、親と生計を切り離す世帯分離の手続きが必要となる。同居は続けられても世帯分離すれば、一人分の保護費が減らされる。」

 沖縄タイムス社説は「かつて、高校進学に際しても、世帯分離の仕組みがあった。高校進学が当たり前となり1970年に廃止されたが、大学進学が将来の収入に影響し、貧困解消につながることを考えれば、同様に廃止すべきである。」と結論づけています。

 生活保護基準を高めつつ「世帯分離」の制度を見直し、憲法25条と憲法26条が守られる社会の実現が求められていることを痛感しました。

 生活保護の世帯分離について皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

ひめゆり平和祈念資料館を見学 [2017/11/26 日 PM 08:08]

 23日から上の姉の次女の結婚式で沖縄に行っていました。

 24日の結婚式もとてもいい式でした。

 前後、不屈館、ひめゆり平和祈念資料館、首里城などを見学し、沖縄を満喫しました。

 25日に訪れた「ひめゆり平和祈念資料館」は、4度目でしたが、今度も多くの事を学びました。

ひめゆり

 家族でひめゆり平和祈念資料館を訪ねました。

 改めて、ひめゆり学徒隊について触れてみたいと思います。

 ひめゆり学徒隊は、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校からなります。

 生徒222人、教師18人が、沖縄陸軍病院に配属されました。

 沖縄戦終結までに、教師・学徒240人中136人が亡くなりました。

 ひめゆり平和祈念資料館で、戦後70年特別展「ひめゆり学徒隊の引率教師たち」の図録を購入し、移動中の車中で読みました。

 特別展は、表題の通り引率教師を追っています。

 引率教師18人の内、実に13人が亡くなりました。

 戦後生き残った教師は5人。その一人が仲宗根政善さんでした。

 図録に仲宗根先生が戦後残した言葉が書かれています。

 「あの場合はしかたがなかったと、いくらいいわけをしてみても、それはいいわけにはならない。自分を社会からひき離し、戦争からひき離して考えたときのいいわけで許されるべきことではない。日本国家全体が犯した罪が、具体的には自分を通じてあらわれたのである。」

 「あの時は、どうにもならなかったと、どうして言えるであろうか。戦争への歯車にはめこまれ、ひきずられて、戦争へと生徒を引率した教師の責任である。不明にして、さめた眼ももたず、戦争へ引きずられて行った罪である。その根は深くおそろしい。私は今もその重い負い目を負いつづけている」

 図録には、体験者の次の言葉が引用されています。

 「戦争は準備が始まってからでは止められない。だからその前に何とかしなければならない」

 図録の編集後記は次の言葉で締めくくられています。

 「『教師の責任』-時代がキナ臭くなりつつあると指摘される昨今、教師に限らず私たち一人ひとりにとっても、重い大切な言葉だと思います。」

 「戦争は準備が始まってからでは止められない」

 私は、ひめゆり平和祈念資料館に行って、憲法9条改憲阻止の決意を新たにしました。

 25日の沖縄タイムズに「沖縄子どもの貧困白書」の書評が掲載されていました。

 早速、那覇市の書店で購入して帰りの飛行機の中で半分読みました。

 この本の冒頭に沖縄子ども総合研究所顧問の加藤彰彦さんの「はじめに」に次の文章がありました。

 「戦争は、貧困を生み出す最大の原因のひとつです。生きる基盤を破壊し、支え合う人を奪い、生きる意欲すら失わせてしまうのです。第二次世界大戦による苦悩のなかで、日本は、日本国憲法を生み出しました。そして、沖縄は苦しみのなかから、一人ひとりのいのちを大切にする文化を守り続けてきました。しかし、戦後72年を迎える現在、地球上には貧困と格差が拡大されてきています。貧困化社会は人と人を対立させ、排除し、戦争へつながる構造さえ、もっているのです。子供という豊かな魂は、誰からも愛され、豊かな経験のなかで成長していくものです。」

 高校生たちを戦場に送ったあの戦争を繰り返してなりません。

 憲法9条を守り、格差と貧困をなくし、平和な日本をつくる決意を新たなにした沖縄家族旅行となりました。

 結婚した姪夫婦の幸せを願いつつ、姉夫婦に感謝する沖縄家族旅行でした。